頼朝と政子が、伊豆のあとに作った町|旅の記録 鎌倉編

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旅の記録 鎌倉編

頼朝と政子が、
伊豆のあとに作った町。

写真はすべて朝霧が撮影したものです

伊豆の縁めぐりの一回目で、熱海の伊豆山神社の話を書きました。
流人だった源頼朝と、北条政子が出会ったと伝わる、山の社です。

反対されながら結ばれた二人は、そのあと、鎌倉に町をつくりました。
今日は、その鎌倉を歩いた記録です。

神奈川県鎌倉市|初夏

緑の山を背にした、朱色の鶴岡八幡宮の楼門と、大石段
朝霧撮影 鶴岡八幡宮の大石段と、朱色の門。新緑がまぶしい日でした。

鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、鎌倉の町のまんなかにある神社です。

一一八〇年、頼朝は鎌倉に入ると、この神社を今の場所に移し、
ここを中心に、町をつくっていきました。
伊豆で暮らしていた流人が、新しい時代の町をつくり始めた場所です。

この神社には、政子の、こんな話が残っています。

頼朝の弟・義経の恋人だった静御前(しずかごぜん)が、ここで舞を舞ったときのことです。
静は、頼朝の前で、離ればなれになった義経を思う歌を歌いました。
頼朝は、ひどく機嫌をそこねたといいます。

そのとき、静をかばったのが政子でした。
伊豆で、まわりに反対されながら頼朝を思った自分の昔を話して、
「私が同じ立場でも、きっと同じようにしたでしょう」ととりなしたと伝えられています。

人を好きになる気持ちを、
いちばん分かってくれたのは、
同じように恋をした人でした。

其の二

雨風の中に座る大仏

鎌倉市長谷・高徳院|くもりの日

くもり空の下に座る、青緑色の鎌倉の大仏
朝霧撮影 鎌倉の大仏。見上げると、空の半分が大仏でした。

鎌倉の大仏は、一二五二年に作り始められたといわれています。
高さは、およそ十一メートル。国宝です。

はじめは、大きなお堂の中に座っていました。
でも、そのお堂は、台風や大波で何度もこわれて、
室町時代の終わりごろには、屋根のない外に座る、今の姿になったそうです。

それから五百年ほど、大仏は、雨の日も風の日も、外に座り続けています。
くもり空の下でも、顔はおだやかなままでした。

屋根がなくなっても、
座り続けることは、
できます。

其の三

小町通り

鎌倉駅の東口|初夏

朱色の鳥居が入り口に立つ、鎌倉の小町通り
朝霧撮影 小町通りの入り口の鳥居。この先に、お店がずっと続いています。

鎌倉駅の前から、鶴岡八幡宮へ向かう道のひとつが、小町通りです。
入り口には、朱色の鳥居が立っています。

八百年前に頼朝と政子がつくった町を、今は、たくさんの人が笑いながら歩いていました。

もし今、あなたが、まわりに分かってもらえない恋をしているなら。

頼朝と政子の恋も、はじめは、反対されていました。
それでも二人は、そのあと、町をひとつつくりました。

あなたの気持ちを、急いで手放さなくて大丈夫です。
分かってくれる人は、ちゃんといますよ。

言葉にならない気持ちを、
そのまま送ってください。

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※写真はすべて朝霧が撮影したものです。

※鶴岡八幡宮・静御前・大仏の内容は、鎌倉市の観光案内や『吾妻鏡』に伝わる話として紹介されているものをもとにしています。朝霧は、各社寺の関係者ではありません。

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