甲斐の山で、雲の上の富士を見た|旅の記録 山梨編

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旅の記録 山梨編

甲斐の山で、
雲の上の富士を見た。

武田神社の拝殿と堀の写真はウィキメディア・コモンズより/ほかは朝霧撮影

おととしの秋、山梨を歩いたときの記録です。
昔は「甲斐(かい)の国」と呼ばれた土地です。

伊豆からは南に見える富士山を、今回は、北と西の山の上から見てきました。

山梨県甲府市|おととしの秋

「武田神社」の額がかかった石の鳥居と、紅葉の参道
朝霧撮影 武田神社の鳥居。参道の奥で、もみじが赤くなっていました。

甲府の町の北に、武田神社があります。
戦国時代の武将・武田信玄をまつる神社です。

神社が建っているのは、信玄の父の代から、親・子・孫の三代、六十年あまり、武田家が暮らした館のあとです。
甲府の町は、この館のまわりから広がっていきました。

神社ができたのは、ずっとあとの一九一九年。
今は、甲斐の国を守る神社として、たくさんの人がお参りに来ています。

武田菱の紋がかざられた、武田神社の拝殿
武田神社の拝殿。赤い丸の中の紋は、武田家の「武田菱(たけだびし)」です。
写真:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

神社のまわりには、今も、戦国時代の館の堀と、高さ三メートルほどの土塁(どるい)が残っています。
甲府の駅のほうから来ると、まず、朱色の橋で堀を渡って、境内に入ります。

緑の木々にかこまれた堀と、そこにかかる朱色の橋
館のまわりの堀と、朱色の橋。
写真:Wikimedia Commons(パブリックドメイン・撮影 前田左衛門佐)

武田家の館は、高い石垣や天守のある、大きなお城ではありませんでした。
堀と土塁でかこんだ、平らな館です。

信玄の言葉として、こんな言葉が伝わっています。
「人は城、人は石垣、人は堀」
高い城より、人を大事にすることが、いちばんの守りになる、という意味です。

境内には「姫の井戸」という井戸も残っています。
館で使われていた井戸のひとつで、信玄の娘が生まれたとき、産湯(うぶゆ)に使われたと伝えられています。

戦国の武将の館にも、子どもが生まれて、家族が暮らしていた。
井戸の前で、そのことを思いました。

いちばんの守りは、
高い壁ではなく、
そばにいる人でした。

石の鳥居の先で、もみじが赤くなっていました。
五百年前、この場所から、ひとつの家が、国をまとめていったんだと思います。

其の二

昇仙峡の、浮富士

甲府市・昇仙峡ロープウェイ山頂|おととしの秋

「浮富士広場」と書かれた木の柱と、紅葉した山
朝霧撮影 昇仙峡(しょうせんきょう)の山の上の「浮富士広場」。

甲府の北にある谷、昇仙峡から、ロープウェイで山の上へ上がりました。
標高は、千五十八メートルです。

山の上には「浮富士広場」という場所があります。
晴れた日には、雲の上に、富士山が浮かんで見えるそうです。

山の上から見た、ごつごつした岩山と、紅葉の森、遠くの甲府盆地
「福を呼ぶ鐘(別名:出愛の鐘)」の案内板

この日は雲が多くて、富士山は見えませんでした。
そのかわり、ごつごつした岩山と、色づいた森が、足もとに広がっていました。

山の上には「福を呼ぶ鐘」もありました。
案内板によると、このあたりは昔から「約束の丘」と呼ばれていたそうです。
別の名前は「出愛(であい)の鐘」。鐘を鳴らして、ずっと続く幸せを祈る場所です。

其の三

身延山の山頂から

山梨県身延町・身延山|おととしの秋

山の上から見た雲海。雲のむこうに、富士山の頭が小さくのぞいている
朝霧撮影 身延山の山頂から。雲の海のむこうに、富士山の頭が見えました。

身延山(みのぶさん)にも上りました。
山頂は、標高千百五十三メートルです。

山頂は、雲の上でした。
谷はまっ白な雲で埋まっていて、
そのずっとむこうに、富士山の頭だけが、ぽつんと出ていました。

「山梨百名山 身延山山頂 標高1153m」の看板と、雲の上の富士山
朝霧撮影 山頂の看板のむこうにも、雲の上の富士山。

昇仙峡で見られなかった「雲の上の富士山」を、
別の山の上で、見ることができました。

見られなかった景色は、
別の場所から、
見られることもあります。

ロープウェイから見下ろした、山あいの久遠寺と、雲のかかった山並み
朝霧撮影 ロープウェイから見下ろした、ふもとの久遠寺。

山頂までは、ふもとの久遠寺から、ロープウェイで七分ほどです。
高さの差は、七百六十メートルあります。

しめ縄が巻かれた大きな杉と、「日蓮大聖人 御手植杉」の木札
朝霧撮影 山頂の奥之院にある大杉。木札には「日蓮大聖人 御手植杉」とありました。

山頂には、奥之院(おくのいん)「思親閣(ししんかく)」があります。
日蓮が、遠いふるさと(今の千葉県の南)にいる両親を思って、
この山の上から手を合わせたと伝わる場所です。

境内には、日蓮が自分の手で植えたと伝わる杉があります。
父と母を思って植えたといわれ、七百年をこえて、今も立っています。

遠く離れていても、
人を思う気持ちは、
ちゃんと根を張ります。

其の四

身延山久遠寺

身延町|おととしの秋

金と朱色のかざりがついた、身延山久遠寺のお堂
朝霧撮影 身延山久遠寺のお堂。屋根の下のかざりが、金色に光っていました。

身延山のふもとには、久遠寺(くおんじ)という大きなお寺があります。

一二七四年、日蓮(にちれん)というお坊さんが、この山に小さな庵をむすんだのが始まりです。
今は、日蓮宗の総本山になっています。

門から本堂までは、「菩提梯(ぼだいてい)」と呼ばれる、二百八十七段の急な石段が続いています。

杉の木のあいだを、まっすぐ下っていく急な石段
朝霧撮影 菩提梯を、上から見下ろしたところ。下が見えないほど急でした。

一段ずつ上るしかない石段です。
でも、上りきった先には、ちゃんとお堂が待っていました。

もし今、あなたが、見たかった景色を見られなかったと感じているなら。

私も、昇仙峡では、富士山を見られませんでした。
でも、身延山の上で、ちゃんと見ることができました。

今日だめだったことが、ずっとだめなわけではありません。
また、別の場所から見ればいいんです。

言葉にならない気持ちを、
そのまま送ってください。

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※武田神社の拝殿と堀の写真は、Wikimedia Commons のパブリックドメインの写真を使っています。それ以外の写真は、朝霧が撮影したものです。

※「人は城、人は石垣、人は堀」は、信玄の言葉として『甲陽軍鑑』に伝わるものです。

※武田神社・昇仙峡・身延山・久遠寺の内容は、山梨県の観光案内などで紹介されているものをもとにしています。朝霧は、各社寺の関係者ではありません。

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