旅の記録 西伊豆編
戸田(へだ)の海と、
赤い鳥居。
写真はすべて朝霧が撮影したものです
去年の夏、西伊豆の戸田(へだ)へ行きました。
沼津市の、いちばん南にある港町です。
伊豆に住んでいても、西の海は、少し遠く感じます。
山をいくつも越えた先に、その町はありました。
静岡県沼津市戸田|去年の夏
戸田は、駿河湾に面した、小さな港町です。
三方を山にかこまれて、前だけが、海に開いています。
駿河湾は、日本でいちばん深い湾です。
戸田の港は、深い海で暮らす、大きな足の長いカニ「タカアシガニ」でも知られています。
海の色が、とてもきれいな町でした。
港の近くでも、水の底の石が見えるくらい、すき通っていました。
海沿いに、白い家と船がならんでいて、
そのうしろに、緑の山がそのまま立ち上がっています。
町ぜんたいが、山に抱えられているように見えました。
御浜岬の、諸口神社
沼津市戸田・御浜岬|去年の夏
戸田の港を、腕で抱えるように守っているのが「御浜岬(みはまみさき)」です。
港から駿河湾へ、弓のような形に、細く長くのびています。
岬の内側は、波がおだやかで、夏は海水浴の人でにぎわいます。
外側は駿河湾の大きな海で、晴れた日には、海のむこうに富士山が見えるそうです。
その岬の先、海のすぐそばに立っているのが、諸口神社です。
諸口神社は、昔から、戸田の漁師さんたちが「海の守り神」として大切にしてきた神社です。
まつられているのは、女性の神さまだと伝えられています。
今も毎年四月四日には、漁業にたずさわる人たちが集まって、
一年の海の安全と、たくさん魚がとれることを祈る祭典が開かれています。
そのあとには、静岡県の文化財になっている「漁師踊り」も奉納されるそうです。
神社には、六百年以上前の室町時代のはじめに、遠く武蔵の国(今の東京や埼玉のあたり)から奉納された「鰐口(わにぐち)」が残っています。
お参りのときに鳴らす、丸い金属の鳴り物です。
沼津市の文化財になっています。
船で行き来していた時代から、
この小さな岬の神社には、遠くの人たちも手を合わせに来ていたんだと思います。
鳥居は、海を向いて立っていました。
漁に出る船を、ここから見送ってきたんだと思います。
岬の内側の海は、驚くほどおだやかでした。
外の大きな波を、岬が受け止めてくれているからです。
守られている場所は、
外から見ると、
ただ静かなだけに見えます。
この港で生まれた船
沼津市戸田|江戸時代の終わりの話
戸田には、もうひとつ、古い話が残っています。
江戸時代の終わり、一八五四年のことです。
ロシアの使節を乗せた船「ディアナ号」が、大きな地震の津波で傷つき、
修理のために戸田へ向かうとちゅうで、沈んでしまいました。
帰る船をなくしたロシアの人たちのために、
戸田の船大工たちが、ロシアの人たちといっしょに、新しい船を造りました。
ことばも、道具も、船の造り方も違う人たちが、
百日ほどで、西洋式の帆船を一隻、造り上げたそうです。
船は、この港の名前をとって「ヘダ号」と名づけられました。
日本で初めての、西洋式の帆船といわれています。
なくしたあとに、
生まれるものも、
あります。
山の上から見た、戸田
西伊豆の山の上から|去年の夏
帰りは、町のうしろの山の上まで、上っていきました。
ふり返ると、谷のいちばん奥に、戸田の町が小さく見えました。
さっきまで歩いていた港が、手のひらにのるくらいの大きさです。


山の上は、一面の笹の草原でした。
木のむこうには、駿河湾がどこまでも広がっていました。
上から見ると、戸田の町は、山と岬に、そっと抱えられていました。
町の中にいるときは、気づかなかったことです。
中にいるときは見えなくても、
ちゃんと守られていることが、
あります。
もし今、あなたが、ひとりでがんばっているような気がしているなら。
あなたの外側で、波を受け止めてくれているものが、
きっと、どこかにあります。
今は見えなくても大丈夫です。
おだやかな海の内側で、少し休んでいってくださいね。
ひとりで抱えていることを、
そのまま送ってください。
旅の記録 信州編霧の戸隠を、歩いてきました。
旅の記録 伊豆編朝霧が、歩いた場所。
伊豆の縁めぐり 其の一頼朝と政子が、出会った山の社。
※写真はすべて朝霧が撮影したものです。
※諸口神社・御浜岬・ヘダ号の内容は、沼津市や観光案内、新聞記事などで紹介されているものをもとにしています。朝霧は、諸口神社の関係者ではありません。