旅の記録 信州編
霧の戸隠を、
歩いてきました。
写真はすべて朝霧が撮影したものです
十月のはじめに、長野へ行ってきました。
長野市の戸隠(とがくし)と、上田です。
ふだんの私は、伊豆の山あいで暮らしています。
同じ山でも、信州の山は、空気の冷たさがまるで違いました。
今日は、そのとき歩いた場所と、そこで感じたことを残しておきます。
長野市戸隠|2026年10月
戸隠神社は、山のふもとから奥へ、五つの社が並んでいる神社です。
いちばん奥にあるのが「奥社(おくしゃ)」です。
ここには、古い言い伝えがあります。
神話の「天の岩戸(あまのいわと)」の話です。
岩の戸に隠れてしまった神さまを、力の強い神さまが外へ連れ出しました。
そのとき投げ飛ばした岩の戸が、ここに落ちて山になった。
だから「戸隠山」と呼ばれる、と伝えられています。
奥社までの参道は、およそ二キロあります。
半分ほど歩くと、朱色の門が見えてきます。
五百年ほど前、一四九八年に建てられた門です。


門をくぐると、空気が変わります。
両側に、太い杉がずっと並んでいます。
一六一二年、江戸のはじめに植えられた木で、およそ三百本。
どれも、四百年以上生きている木です。
歩いているあいだ、ほとんど誰も話していませんでした。
聞こえるのは、砂利をふむ音と、鳥の声だけです。
一本の木の前で、しばらく立ち止まりました。
四百年のあいだに、この木の下を、どれだけの人が歩いたんだろう、と思いました。
うれしいことがあった人も、
どうしていいか分からなくなって、ここまで来た人も、いたと思います。
木は、その全部を、何も言わずに見送ってきたんだと思います。
急がせることも、答えを出せと言うこともなく。
答えが出ないまま、
ここを歩いた人は、
きっとたくさんいました。
中社の三本杉
戸隠神社 中社|2026年10月
奥社から山を下りたところにある「中社」には、大きな杉が三本、寄りそうように立っています。
八百年をこえて生きている、といわれる木です。
八百年前というと、鎌倉時代のはじめごろです。
伊豆にいた源頼朝が、鎌倉に幕府を開いたのと、だいたい同じころです。
その時代から、この木はここに立っています。


幹に、手のひらをあててみました。
思っていたより、あたたかかったです。
三本の木は、根もとでひとつにつながっています。
それぞれ別の方向に伸びているのに、根は離れていません。
離れて見えても、
根っこでつながっているものは、
あります。
鏡池と、霧の山
長野市戸隠|2026年10月
鏡池は、標高千二百メートルほどの高原にある池です。
もとは、雪どけの冷たい水をためて温め、田んぼに流すためにつくられた池です。
風のない朝は、水面が鏡のようになって、ぎざぎざの戸隠の山が、さかさまに映るそうです。
私が行った日は、くもりでした。
山のてっぺんは雲に隠れて、ほとんど見えませんでした。
しばらく見ていると、霧が少しずつ動いて、岩の山が、ほんの少しだけ顔を出しました。
そしてまた、隠れていきました。
見えないあいだも、山はずっとそこにありました。
霧が晴れるのを、こちらが待っていただけです。


見えないからといって、
なくなったわけではありません。
上田の、秋の田んぼ
長野県上田市とその周辺|2026年10月
上田は、真田幸村で知られる、真田家の城下町です。
駅に降りると、赤い鎧がならんで迎えてくれました。
上田城は、幸村の父、真田昌幸が建てた城です。
真田家はこの城で、何倍もの数の徳川の軍を、二度も追い返したと伝わっています。
数では負けていても、あきらめなかった家です。
赤い鎧を見ていると、そういう強さが伝わってくるようでした。
町を少し離れると、山のあいだに、黄金色の田んぼが広がっていました。
刈りとった稲を、棒にかけて干している田んぼもありました。
晴れた日の上田は、空がとても高く見えました。
戸隠の霧の中から来たので、なおさらそう感じたのかもしれません。
もし今、あなたが、答えの出ないことを抱えたまま歩いているなら。
急いで霧を晴らそうとしなくて、大丈夫です。
見えない日があっても、山はちゃんとそこにあります。
あなたの気持ちも、たぶん同じです。
今は見えなくても、なくなったわけではありませんよ。
霧の中にいるような気持ちを、
そのまま送ってください。
旅の記録 西伊豆編戸田(へだ)の海と、赤い鳥居。
旅の記録 伊豆編朝霧が、歩いた場所。
伊豆の縁めぐり 其の一頼朝と政子が、出会った山の社。
※写真はすべて朝霧が撮影したものです。
※戸隠神社の由来や杉並木・随神門の年代、鏡池の成り立ちは、戸隠観光の案内などで紹介されている内容をもとにしています。朝霧は、戸隠神社の関係者ではありません。